子どもとギフテッド 読み物 01

授業が簡単すぎる子は、なぜ退屈するのか

「つまらない」という言葉から、授業のどこが合っていないのかを探る。退屈の研究と、学校で試せる学び方を考えます。

知能をたずねて 編集部約6分

算数の時間、配られたプリントを数分で終えた子が、机の端に小さな絵を描き始める。注意されても「もう分かっているから」と言う。家では何時間も図鑑を読んでいるのに、学校の話になると口が重い。

この場面だけで、ギフテッドだと判断することはできない。それでも、学習内容と本人の理解がかみ合っていない可能性は考えられる。退屈を我慢する力だけに話を絞る前に、何を待ち、何ができず、何なら考え続けられるのかを見てみたい。冒頭の子どもは、説明のために作った架空の例だ。

「退屈」の中身を、三つに分けてみる

同じ「つまらない」でも、すでに分かっている内容を繰り返す苦痛と、難しくて話についていけない苦痛は違う。自分で考える余地がなく、指示どおりに作業することに意味を感じられない場合もある。

一問を速く解いたことだけでは、単元全体を理解しているかは分からない。初めて見る問題でも説明できるか、答えを覚えているだけではないか、口頭なら説明できるのに書く段階で止まるのか。ここを確かめると、次に試すことが変わってくる。

行動を見て、次の問いを考えるための表(編集部による整理)
見える様子考えられる背景確かめたいこと
練習問題をすぐ終えるすでに習得している新しい応用問題でも理由を説明できるか
白紙のまま手が止まる理解や読み書きの負担口頭・図・具体物なら取り組めるか
指示された活動を嫌がる課題への意味や選択肢が少ないテーマや表現方法を選ぶと変わるか
教科を問わず苦痛を訴える学習以外の学校生活上の問題もある友人関係、音や場所、生活の変化はどうか

研究は、退屈をどう調べたのか

KanevskyとKeighleyの2003年の研究は、教室での学習から次第に離れていった高能力の青年3人を取り上げた。そこでは、課題の選択、挑戦の手応え、複雑さ、自分で進める感覚、理解してくれる教師との関係が論点となる。[1]

対象者の少ない事例研究は、「高能力の子の何割が退屈するか」を推定する研究ではない。一人の語りを丁寧に聞くことで、大規模な質問紙では捉えにくい学びの経験を考える手掛かりを得る。家庭でこの研究を読むなら、五つの要素を判定項目にするよりも、本人に聞く質問を増やす材料にする方が役立つだろう。

難しいクラスに入れば、退屈はなくなる?

Preckelらの2010年の研究は、オーストリアの一つの高校の第9学年186人を調べた。うち93人は高能力者向けのクラスに在籍した。学年の前半を追うと、そのクラスでは数学についての自己評価が、特に初期に下がった。一方、「通常クラスの高能力者の方が退屈が強い」という仮説は支持されず、退屈を感じる理由に違いがあった。[2]

この結果は、専門クラスが悪いという意味ではない。本人が自分を比べる相手も、課題の難しさも変わる。以前はすぐ答えが出ていた子が、初めて考え込むようになることはあり得る。そのとき「前よりできなくなった」と受け取るのか、「考える価値のある課題に出合った」と受け取るのかで、同じ環境の経験は変わる。

また、一校の青年期の研究結果から、日本の小学校での学級選択を直接決めることもできない。どの集団に入るかと、その集団で何をどう学ぶかは、両方確かめる必要がある。

問題を増やす前に、課題を変える

以下は研究の実験条件を再現したものではなく、学校との相談を具体化するための編集部の提案だ。既習の計算を20問終えた子に同型の20問を追加すると、本人には「早く終えるほど作業が増える」と映るかもしれない。まず習得を確認し、練習の一部を、考え方を説明する課題や別の解法を探す課題へ置き換えられないか相談する。

例えば、長方形の面積を求められるなら、周の長さが同じ長方形のうち、どれが最も広いのかを調べる。答えを一つ書く活動から、条件を変え、予想を立て、反例を探す活動になる。学年を先へ進める方法と、同じ内容を深く考える方法は、本人の様子を見ながら組み合わせられる。

「みんなに教える係」も、毎回固定すれば本人が新しいことを学ぶ時間を失う。協力する機会と、自分自身が挑戦する機会の両方があるかを確認したい。

学校との面談は、一つの場面から始める

「うちの子には授業が簡単です」だけでは、教師が授業の何を変えればよいのか分かりにくい。「この単元では、課題を10分ほどで終え、その後20分待つ日が続いています。初めての文章題には自分から取り組みます」と伝えると、観察し直す場面が見える。

持っていく資料も、一冊の分厚い記録である必要はない。実際の課題一枚、本人の説明、待ち時間が生じた場面、本人が試したいことを一枚にまとめる。家庭での推測と、学校で確認できた事実を分けて書くと、認識の違いも話し合いやすい。

次の面談までの試行を一つ決める方法もある。例えば、習得が確認できた練習の一部を発展課題に替え、取り組む時間、説明の深まり、本人の感想を確認する。期間や方法は学校と相談して決め、うまくいかないときは別の仮説を考える。

退屈が減ったかは、静かさだけで測れない

教室で静かに座るようになっても、学びに手応えを感じているとは限らない。逆に、難しい問題の前で迷ったり、やり直したりする時間が増えても、それ自体が悪い変化とは言えない。本人が「今日は考えた」と感じられること、助けが必要なときに言えることも見たい。

目標は、誰より早く進ませることだけではない。その子が今いる場所から、少し考えれば届く問いに出合えることだ。「つまらない」の後に何が続くのかを聞くところから、授業について話せることは増えていく。

出典・確認資料

  1. Kanevsky, L. & Keighley, T. (2003). To Produce or Not To Produce? Understanding Boredom and the Honor in Underachievement. Roeper Review, 26(1), 20–28. ↗

    公開抄録を確認。3人の事例研究であり、頻度や因果効果を推定する資料ではありません。

  2. Preckel, F., Götz, T. & Frenzel, A. (2010). Ability grouping of gifted students: effects on academic self-concept and boredom. British Journal of Educational Psychology, 80, 451–472. ↗

    公開抄録を確認。186人・一校という対象範囲と、退屈の仮説が支持されなかった点を併記。

資料確認・本文更新:2026年10月19日。研究の紹介と、編集部の考察・提案を分けて記載しています。